東京高等裁判所 昭和27年(う)2163号 判決 1952年9月20日
控訴人 被告人 中村一男こと金元鎬
弁護人 畑和
検察官 曾我部正実関与
主文
原判決を破棄する。
本件を原裁判所に差戻す。
理由
本件控訴の趣意は弁護人畑和提出の控訴趣意書に記載された通りである。之に対し当裁判所は左の通り判断する。
論旨について
論旨は原審は原判決一として「被告人は法定の除外事由がなく且所轄知事の登録を受けた店舗を有する販売業者或は配置販売業者でないのに拘らず、昭和二十六年六月頃から同年九月初旬頃までの間、店舗でない肩書住所に於て松本君代外四名に対し医薬品であるメチルプロパミンを含有するネオアゴチン注射液一ccアンプル入り合計約二百四十六本を代金合計約四千九百二十円で販売し、以て医薬品の販売業を営んだ」ものであると認定した上、薬事法第四十四条第八号第五十六条第一項第二項を適用処断したのであるが、右認定事実に対応する起訴状記載の訴因は「被告人は法定の除外事由がないのに拘らず店舗の所在地を管轄する都道府県知事の登録を受けないで営利の目的を以て昭和二十六年六月頃より同年九月初旬迄の間浦和市高砂町一ノ一五四番地の自宅に於て松本君代外四名に対し医薬品であるメチルプロパミンを含有するネオアゴチン注射液アンプル入り合計約二百四十六本を代金合計約四千九百二十円にて販売した」というのであり其の罰条は薬事法第二十九条第五十六条として記載されているのである。然るに右両者の事実の間には公訴事実の同一性が欠けているし、仮に同一性は欠けていないとしても、原判決の認定は起訴状記載の訴因(並に罰条)と喰い違つていて、原判決の如き認定をするについては訴因(並に罰条)変更の手続を当然必要とするに拘らず、原審は被告人及び弁護人に防禦の機会を与えず勝手に訴因(並に罰条)を変更し判示認定をしたのであるから原審は判決に影響を及すべき違法を冒したことになり破棄を免れないと主張するのである。
よつて按ずるに薬事法第二十九条は医薬品の販売業を営まうとする者(同条但書の場合を除く)にして店舗を有する販売業者である場合は店舗所在地を管轄する都道府県知事の又厚生大臣指定の医薬品の配置販売業者の場合は営業区域を管轄する都道府県知事の登録を受けなければならぬ旨を定めていて、違反の場合は同法第五十六条によつて処罰されることになつているが、右第二十九条の主眼は所定の登録を受けさせるべきものとする点にあると考えられる。而して同法第四十四条第八号によつて右第二十九条所定の両方法以外の販売業は禁止されているのであつて此の場合には勿論登録の有無の如きは問題とならないのであり、例えば第二十九条によつて所定の登録を得た者の如き店舗を有する販売業及び配置販売業以外の方法による販売業を営んだ場合は第四十四条第八号違反となつて第五十六条によつて処罰されることとなるであろう。今本件について之をみるに起訴状記載の訴因によれば、被告人は店舗を有する販売業者であるが所定の登録を経なかつた者として明に右第二十九条違反の事実として起訴されているのであり、此の訴因の記載が、右第四十四条第八号に規定された如き「店舗を有する販売業又は配置販売業以外の方法により医薬品の販売業を営んだ」という事実を包含するものとは考えられず両者は構成要件を異にするものと考えざるを得ないので、若し本件起訴状記載の如き訴因から原判決の如き認定をしようとする場合には当然訴因変更の手続を必要とするといわざるを得ない。然るに原審の手続をみるに斯る手続の為された何等の形跡もないので原審は此の点に於て判決に影響を及すべき訴訟手続の違反を冒していることになり論旨は此の点に付理由があるので原判決は破棄を免れない。
よつて爾余の論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法第三百九十七条第四百条に則り原判決を破棄した上本件を原裁判所に差し戻すべきものとし、主文の通り判決する。
(裁判長判事 藤嶋利郎 判事 飯田一郎 判事 井波七郎)
控訴趣意
一、原判決は審判の請求を受けた事件について判決をせず審判の請求を受けない事件について判決をした違法あるものであり仮りに然らずとするも手続に法令の違反がありその違反が判決に影響すること明であり破毀を免れない。
検事の起訴状に依れば第一事実として、被告人は、一、法令の除外事由が無いに拘らず店舗の所在地を管轄する都道府県知事の登録を受けないで営利の目的を以つて昭和二十六年六月頃から同年九月初旬迄の間浦和市高砂町一ノ一五四番地の自宅に於て松本君代外四名に対し医薬品であるメチルプロパミンを含有するネオアゴチン注射液アンプル入り合計約二百四十六本を代金合計約四千九百二十円にて販売し
となし罰条を薬事法第二十九条第五十六条としている。
然るに原審判決は右起訴状第一事項に照応して、被告人は、一、法令の除外事由なく且つ所轄知事の登録をうけた店舗を有する販売業者でないのに拘らず昭和二十六年六月頃から同年九月初旬頃までの間、店舗でない肩書住居に於て松本君代外四名に対し医薬品であるメチルプロパミンを含有するネオアゴチン注射液一ccアンプル入り合計約二百四十六本を代金合計約四千九百二十円で販売し
以つて医薬品の販売業を営み
と判示し罰条として薬事法第四十四条第八号第五十六条第一項第二号罰金等臨時措置法第二条第一項を適用している。
右起訴状の記載とこれに照応すべき判決とを比較するとき公訴事実は同一性を欠くか然ずとするも少くとも訴因並に罰条の喰い違ひを見出すのである。
起訴状の訴因は、「被告人が登録をうけないで店舗販売業を営み起訴状記載の日時場所に於て起訴状記載の品目、数量、金額の医薬品を販売した。」ことにあるが、判示によれば、「被告人が店舗販売業、配置販売業以外の方法で同様日時、場所で同様品目、数量、金額の医薬品の販売を営んだ。」となつている。そもそも訴因とは法律的に構成された公訴事実でありかかる意味では明に起訴状と判決の間には訴因の変更があつたことになる。薬事法第二十九条第五十六条は、登録をうけないで店舗販売業や配置販売業を営むことを処罰するものであり、薬事法第四十四条第八号第五十六条は、登録の有無に関せず均しく店舗販売業や配置販売業以外の方法により販売を営むことを処罰するものである。仍つて彼此具体的には公訴事実の同一性は失われてはいないとしても法律的に構成された公訴事実即ち訴因は変更せられ罰条も又明に変更されたものである。
そもそも訴因並に罰条の変更は検察官の請求によつてなされるべきものであり裁判所は之が変更を相当とするときは之等の変更を命ずることが出来る。又裁判所は変更があつた時はその部分を速に被告人に通知しなければならない。又更に裁判所は之等の場合に被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞ありと認めるときは被告人に充分な防禦をさせるため必要な期間公判手続を停止しなければならぬと迄刑事訴訟法第三百十二条は規定している。然るに原審に於ては検察官の変更の請求もなく又裁判所の変更の命令もなく、仍つて被告人及弁護人に何等防禦の機会を与えることなく勝手に訴因を変更し且つ罰条を変更しているのである。仮に訴因は変更せられたものではないとしても少くとも罰条は明に何等の手続を経ずして勝手に裁判所に於て変更していることは明である。尤もこの場合でも刑事訴訟法第二五六条第四項但書との関連に於て訴因の変更は別として罰条の点については被告人の防禦に実質的な不利益を生じない限り起訴の罰条とは異つた罰条で裁判することも差支なく、実質的な不利益を生ずる場合にのみ刑事訴訟法第三百十二条の適用があると解すべきであるとする考え方もあるであろうが大に問題である。かう考えた場合に於ても、本件の場合裁判所が何とも告げず勝手に罰条を変えることは実質的な被告人の不利益を生ずる場合に該当する。
以上如何様に考えても原審が審刑の請求をうけた事件について判決せず審判の請求をうけない事件について判決をした違法ある場合に該当し然らずとするも少くとも訴因及罰条を裁判所が何等の手続を経ずに勝手に変更した違法があり、判決に影響すべきことが明なるものと信ずる。